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2016年10月4日のNEWS ZEROでは桐谷美玲さんと錦織圭さんの対談インタビューの様子が放送になりました

2016年10月4日放送のNEWS ZEROでは、NEWS ZEROの放送開始10周年企画として、桐谷美玲さんと錦織圭選手の対談が実現しました(^o^)

錦織圭選手の代名詞でもある『エア・ケイ』の秘密などについてのインタビューの様子がたっぷりと放送になりましたよ〜(๑´ڡ`๑)

追記:今回のこちらの記事へのアクセスが非常に多く、錦織圭選手の注目度の高さに個人的にかなり驚いた次第であります。。

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桐谷美玲さんと桐谷美玲さんの対談内容

プロとして10周年の錦織圭選手。

ランキングも4~5年前とはガラリと代わり、プロとしての意識も違ってきているかもしれない、とご自身の口からおっしゃいました。

これまでの10年間のプロテニスプレイヤーとしての出来事を項目ごとにインタビューに応じておられました。

2008年プロ2年目『ツアー初優勝』

デルレイビーチOPで初優勝を成し遂げましたが、満足度は『50%』とのこと。

1回戦を突破することも初めてであり、優勝に至るとは思っていなかったようです。

デルレイビーチOPの1周間前には下部のATPチャレンジャーの予選で敗退していたのだそうで、コーチには「もう出たくない」と言い、言い合いになる中で出場したデルレイビーチだったのだそうです。

代名詞ともなったエア・ケイについて

桐谷美玲さんのリクエストで、生エア・ケイも披露!笑

実はエア・ケイは弱点克服のために生まれたものだそうで、それはずばり身長の低さをカバーするためのものです。

胸の位置でボールをとらえるためにだんだん跳び始めて、エア・ケイに至ったのだそうです。

『エア・ケイ』と世間で言われるようになったがために、「たまに(エアケイを)やらなきゃいけないのかな?」とプレッシャーもあったりしたのだそう、試合中もちょいちょい考えてしまうそうです笑

2009年プロ3年目『右ひじを手術』

最高のプロスタートを切った錦織圭選手でしたが、ケガによりプロ選手を離脱、世界ランクも56位から1000以下にまで落ち込んだのだそうで、満足度は10%となりました。

1年間のリハビリ生活でしたが、意義のあるものだったと語っておられました。

それはカラダのケアだったり、トレーニングの大切さなど、このリハビリ期間がなければ気づけなかったであろう経験となったのだそうで、以後、上に上がっていくためのステップになたようです。

2012年プロ6年目『4大会初のベスト8』

1000位以下まで落ち込んだ世界ランクも全豪オープンベストで15位にまで浮上しました。

この年の満足度は60%だそうです。

2012年の11月に桐谷美玲さんは一度錦織圭選手にインタビューをしており、当時の錦織圭選手は目標として『トップ10入り』と答えていました。

そして有限実行となるのです。

2014年プロ8年目『全米オープン準優勝』

世界に衝撃を与えた全米オープンでの錦織圭選手の活躍。

アジア人としてテニス界では初の快挙となる、4大大会連続の決勝進出を果たしました。

ランキングもついにトップ10入りを果たしたのです!

この年はほぼいいことしかなかった、と錦織圭選手は語っており、満足度は70%だそうです。

常にトップ10、トップ5の選手に勝たねばならない、と芽生え始めたのもこの年なのだそうで、2016年現在としては常にトップ10にいなければならない、という意識に変わっているのだそうです。

ドロップショットについて

エア・ケイのみならず、錦織圭選手といえばドロップショットです。

絶妙なタイミングとコントロールで繰り出されるドロップショットの秘密について語っておられました。

錦織圭選手のドロップショットはオリジナルであり、基本的にはフォアハンドで打つことが多いのだそうですが、グリップを変えるのだそうです。

空中で、キュって変える、とおっしゃいました…そんなことができるのでしょうか(´・ω・`)

まさしく天才…と思えるのですが、どんなもんでしょうか。

空中で打つ直前に握り直すことで相手の意表をつき、ドロップショットが決まりやすくなるのだそうです。

2016年プロ10年目『リオ五輪銅メダル全米OPベスト4』

満足度は80%だそうです。

安定して1年結果を出す、ということが錦織圭選手の中で課題としてあるとのことで、その課題が実現している年、充実している年となっているようです。

オリンピックでメダルを獲ったことも充実の一貫でもあり、また、色々な人に刺激を与えてもらったということも充実感につながっているようです。

というのも、北京とロンドンの時は誰からも声をかけられなかったのだそうですが、リオの時は選手村のカフェテリアでアフリカの方から写真を一緒に撮ってほしいと声をかけられたのだそうで、アフリカにまで自分の名前が知れ渡っている事実に喜びを感じたようです。

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