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2019年3月18日放送のミヤネ屋でも内田裕也さんの訃報のニュースが報じられました

2019年3月18日放送のミヤネ屋では、内田裕也の訃報に関してのニュースが報じられ、義理の息子である本木雅弘さんや、ロック界の盟友も生でご出演されるなどしました。

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ミヤネ屋で報じられた内田裕也さんの訃報に関するニュース

2016年にはロンドンのホテルで転倒し尾骨を強打、2017年には転倒し右足の甲の骨折をするなどし、さらに同年に脱水症状を起こし、緊急入院したり、という闘病生活がここ数年は続いていたようですが、恒例の年越しのロックライブでは車椅子から執念で立ち上がり熱唱するなど、ロックの魂を見せつける姿が印象的でした。

本木雅弘さんのコメントを抜粋

仕事の予定がありロンドンに滞在中だった本木雅弘さんは、妻である内田也哉子さんから訃報の知らせを聞いたそうです。

17日の段階で知らされたとのことで、最後に会ったのは3月10日であり、その時はアメリカから帰国した長男のUTAさんと次男さんを連れて、内田裕也さんが入院している病院へお見舞いに行ったのだそうです。

内田裕也さんは熱があったものの、穏やかで、孫の話にやさしく頷いたり、本木雅弘さんがご出演しているCMに関して「なかなかイイな」と褒めてくれたりしたそうです。

時代を切り開いた(ロック)業界の先駆者を失くしたという事において残念ではあるものの、岳父として常に紳士的に接してくれたことに感謝の気持ちしかない、とコメントしています。

陣内孝則さんのコメント

2018年から2019年の年越しライブで共演した陣内孝則さん。

楽屋で内田裕也さんと会った陣内孝則の両手を握り、「陣内、本当ありがとな」と言われたそうです。

所属事務所のコメント

2019年の3月17日の5時33分、内田裕也さんが肺炎のため永眠した、とコメントを出しています。

闘病の日々でしたがユーモアやウィットを忘れず、ときには世の中を憂い、怒り、常に自分自身ができることはなにか?を模索していた、ともコメントしています。

最後までロックンロール人生を全うできたことに感謝、とのことでした。

2014年7月10日のミヤネ屋に出演

指原莉乃さんとのユニット曲のお知らせでミヤネ屋に出演した事もある内田裕也さん。

「祖父と孫がやっているみたいでイヤなんだよ」と言いつつも、指原莉乃さんとの楽曲コラボは楽しそうでもありました。。

元気でいられる秘訣は「いつも『クソッ!』と思っていること」とおっしゃっておりまして、この反骨精神もやはりロック魂、ということなのかな、と思いますね。。

内田裕也さんのロックンロール人生の軌跡も紹介されました

憧れの存在はエルビス・プレスリーであり、高校中退後に『ブルージーンバップス』というバンドを結成し、活動をスタートさせています。

1966年に来日したビートルズの前座を尾藤イサオさんと務めた経歴もあります。

ジュリーこと沢田研二さんを発掘したのも内田裕也さんであり、邦楽ロックの礎を築いた存在として、まさに業界の先駆者的な立ち位置にいました。

1970年代になると、音楽のみならず映画俳優としての活動もしていきました。

1983年公開の『十階のモスキート』や、自身で脚本を務めた『コミック雑誌なんかいらない!』が代表作であり、主演を務めています。

1973年にはかまやつひろしさんの紹介で、女優の樹木希林さんと結婚したことはあまりに有名です。

1991年には東京都知事選挙に出馬したこともあり、世間の度肝を抜きました。

『power to the people』などをアカペラで歌ったり、英語でスピーチするなどの政見放送をした伝説が残っており、5万4654票を集め5位にまでいきましたが、結果は落選でした。

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