NEWS ZERO10周年企画の一貫としてついに!
宇多田ヒカルさんが村尾キャスターとの対談インタビューに応じている様子が2016年10月5日放送になりました(^o^)
人間活動に専念するとのことで長い期間活動休止をしていた宇多田ヒカルさんですが、その人間活動についてもインタビューに応じておりました。
宇多田ヒカルさんと村尾キャスターの対談内容
リラックスした表情でスタジオに登場し、丁寧な挨拶から始まりました。
宇多田ヒカルさんはテレビを持っていない!
「日々のニュースへの関心は?」という村尾キャスターの質問に、「長いこと実はテレビを持っていない」と明かした宇多田ヒカルさんです。
しかしそんななかでも、もしテレビを見ることがあるのなら一番好きなのはニュース番組なのだそうです。
音楽活動休止以前は政治にまったく興味がなかったのだそうです。
活動休止中に住んでいたロンドンで、ニュースがもっと生活の一部になっていったように感じたのだそうです(固い感じではなかったのだそうです)。
イギリスでは若い世代も政治を難しいものとしてとらえるのではなく、ごく当たり前のこととしてとらえており、むしろ政治について興味がない、知識もない、となると「ダサい」という扱いを受けるのだそうです(´・ω・`)
そんな感じで、ごく自然に政治についてのニュースにも関心がいくようになったようです。
2010年に活動休止、人間活動へ
6年を経過した今現在、簡単に言うといろいろな状況で普通に人と接したかったのだそうです。
日本にいればどこにいても特別扱いを受けてしまい、社会の中に入れないバリアのようなものを感じざるを得なかったようです。
「自分は何なんだろう、何がしたいのだろう」と考えた時に、人は、他の人との関わり合いの中でしか(自分を)見いだせない、と考えであり、そこでバリアを張られてしまっては人の中に入れない=自分自身が得たいの知れない存在である、とまで思ったようです。
そういった悩みが自分の居場所や身の置き所がない状況になり、やさぐれてしまいそうにもなっていったのだそうです。
では、この6年間で人間活動はできたのか?という問いかけに対し、「できました」と回答。
実際には、やや変わった学校で少しボランティアをさせてもらったり、習いたかった語学の勉強を自分で調べて習いに行ったり、興味があったことをただただ図書館に行って調べたりもしていたのだそうです。
人としてこのままでは生きていくのが苦しい、という思いが少しずつ晴れていったのだろうと思えますね(o・ω・o)
ZEROテーマ曲である『真夏の通り雨』について
人間活動の最中には2013年に母親の藤圭子さんが死去し、2014年には宇多田ヒカルさんご自身が結婚、翌年には出産も経験し、生活環境も大きく変わっていきました。
NEWS ZEROが宇多田ヒカルさんにテーマ曲の制作依頼をしたのは2014年のことなのだそうです。
そして2016年の1月にはデモ音源がNEWS ZEROに届きました。
タイトルもすでに「真夏の通り雨」と決まっており、歌詞もそのまま、母のことを綴った内容となっていたようです。
実は宇多田ヒカルさんが、人間活動後に初めて作詞を手掛けた楽曲がこの「真夏の通り雨」なのだそうです。
どういう思いで真夏の通り雨を制作したのか?という村尾キャスターの問に対し、
「美しい日本語って思える歌をつくりたいと思い書き始めた」
と回答。
はじめは、
「あんなにもパーソナルで感傷的な歌詞がニュースを届ける番組に合うのか?」
と思っていたのだそうです。
そして村尾キャスターも同様のことを思っていたことを明かしました。
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